2008年 06月 17日
岩手・宮城内陸地震6・14
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上の写真は15日に仙台から戻って来た時に私達がいつも使っている
若柳金成インターで遭遇した「福島県」消防隊でした。沢山の緊急車両が
ゲートを出て、栗駒方面へ向かって行きました。「お願いします!ありがとう
ございます」の願いで見送りました。
14日の地震から3日。未だあれは夢だったのでは?と思う程我が家の中は
いつもと変わらない生活空間があります。しかし時々来る余震の度に恐怖心で
体が固まりそうになります。今日のお昼頃まであった余震が、実は今
ぱったりと来なくなっています。この静けさがとっても怖いのです。
明日の午前11時までM6以上の余震が起きる可能性が30%M5以上は90%
18日から21日までの間、M6以上の余震が来る可能性は10%M5以上は60%
それの下りを見つけてしまって、お尻が落ち着かない私です。
いきなり揺れ出した時に私とウェリナは2階に居ました。
いつもの地震じゃない事は直ぐに分かり、「ウェリナ!カム!!」
素直にウェリナは従い、私と一緒にいつもの様に階段を下りるのですが
左右に体が振り回されてやっと1階へたどり着きました。
(後から気づいたのですが腕に擦り傷と痣が出来てました)
1階にいた旦那はガスを閉めウェリナにリードをつけ、私が玄関を開け
逃げ道確保。納まるまでだいぶかかりました。地震の音は地鳴りの音と
家の中の窓や物と物がぶつかって発生する音がとてつもなく恐ろしく聞こえて
それがもし、少しでも軽減出来るともう少し冷静で居られるのかもしれないと
思いました。納まって、直ぐに車のある通り道側へでると、お隣の若奥様も
出て来て、「これ宮城県沖地震だと良いね」なんて言ってましたが
残念ながら沖ではなく内陸の未知の断層が動いた様ですね。直ぐに大きな余震が
ありました。ガスも電気もストップ!何故か水は大丈夫でしたよ。
このまま家に居るのも危ないから旦那が会社の通用口にある駐車場に
車を置いて、底に居れば良いと言ってくれました。
そんな旦那は震度5以上の地震が来たら、どこに居ても会社へいかねば
なりません。土曜日も実はもう少し時間がずれていたら、予定がずれていたら
既に高速に乗っていた時間でした。その前にまさかその5以上の地震があるなんて
思っても見なかったので人生は想定外が沢山あるんだな・・って実感しました。
旦那には避難リュックとウェリナをお願いして先に行ってもらいました。
とは言っても歩いて3分もかからない場所ですから、私も徒歩で行ったり来たり
出来る訳です。私は家の点検、コンセントを抜いて、高い場所にある物は
下へおろして、ガス栓は外の部分も閉めました。そして鍵をかけ、隣さんに
声をかけて旦那の会社へ向かい、車に乗っているウェリナが熱中症にならないよう
後ろの荷台のフックにウェリナのリードを付け、窓を全部開けて
座ってました。最初に見たのはテレビ、どこの局も同じ事を放送。最初は良いが
段々とイライラしてくる、キー局がメイン。例えば私は東北放送が好きなので
TBSチャンネルの1に合わせました。コチラの記者が情報を伝えているのに
途中でブチッと切れて東京のキー局に変わってしまいました。なんだ??
東北放送の記者の方がコチラの状況が分かってる。こっちの地形だって分かってる
もしかしたら、個人でその場所へ行った事があって詳しく色んな事を
しってるかもしれない、なのに?なんでそうなっちゃうんだろう?
温度差がある。色んな意味で、これは東京で画面だけ見て語ってるのと
こちらで色々と知ってる人が語ってるのでは違うと思った。
そう思った瞬間、ラジオに切り替えました。東北放送のラジオだ。これは
良く聞くアナウンサーの声で情報量も多い!やはりこういう時は地元のラジオ!!
「家を空ける時はブレーカーをおろして下さい」このコトバに、私は家へもどり
ブレーカーをおろしました。こんな事までふっ飛んでしまってましたが
ラジオのおかげで気づく事ができました。そして細かい情報も入ってくる。
地元ならではの情報が本当にありがたかった。そして私の体験したのが
震度6だった事、あの感じは忘れられないでしょう。
ウェリナに水を上げたり、信号の付いていない交差点を見たり
なんだかとても不思議な空間に自分が居る様な変な感じがしていました。
旦那の上司が外に居る私とウェリナを会社の会議室で待たせてくれる事になりました
交差点の角にある会社の窓は大きく、青い空と丸い雲と、そして沢山のヘリコプター
自衛隊?それともメディア?あんなに飛んでぶつからないのかな?なんて
思いながら、見ていました。そんな中でも余震があり、ウェリナは椅子の下から
出て来ません。旦那は電気が付かないとにっちもさっちもいきません。
ウェリナの排泄のタイミングで車に戻りました。風が冷たくヒート気味の心を
冷やすには丁度良かったのかもしれません。その頃からメールや携帯電話が
普通に使える様になってました。このブログにかき込んだのもその頃でした。
沢山の人に無事を伝えるにはこれが一番だ!!って思い、使いましたが大正解!
東北道も通行止め、ウェリナの最後のレクチャーもお休みの留守電を入れて
マッタリな時間を過ごしていました。いわきの母とも、連絡がついたし・・
お昼頃には電気も付ける様になり、ガスも使える様になり、東北道も走れる。
家に帰ったのですが、やはり余震が凄くて、家に居るのが怖いし、道路も走れる
もう、行くしか無い!!仙台へ!そう思って旦那に電話をしたら、その方が
安心だと言う事で、車をぶっ飛ばしながら、行きました。遅刻でも良いのだ!!
高速上で災害支援の車と沢山すれ違いました。まるで映画の一場面みたいだった
長者ヶ原のSAには消防車が沢山だし、自衛隊の車も・・
その時はじめて、アクセルを踏む足とハンドルを握る手が震えて来ました。
今更だよね・・そう思いながらも、「生きている自分」をはっきり自覚できました。
センターへ無事に着き、訓練士さんの顔を見たとき、今まで一緒にレクチャーを
して来たウォーカーさんの顔を見たとき、ホッとしました。ホッとして旦那に
メールをし忘れて、携帯にかかってくる始末でした。今度会うのは入所式だね
みんな元気で居てね!と思いながら皆さんを見送り、センターのSさん(栗原在住)
と話をして帰って来ました。高速、古川ー築館が通行止めだったので、
結局4号線で帰って来ました。途中旦那からメールで「栗原に戻って来たら
とんぼ返りで仙台へ戻る」とのこと、やはり余震がかなりあるようで、眠る事も
困難だと言う事で、家に帰る事にしたようです。ウェリナの事も考えたら
その方が安心なので厳しいスケジュールだったけど、がんばってみました。
家を出る時「行ってくるよ、頑張って建っててね」と家に声をかけてでました。
やはりどんな家でも一年も居ると愛着がわくんですよね・・
次の日は暗くなる前に戻って来て、下へおろした物を片付けたり、これからくる
余震の事も考えて、食器を片付ける位置を変えて、レンジの位置も低くして・・
避難リュックももう一度見直す事にしました。経験して本当に必要だと
思った物を考えていれ直そうと思います。
そして思い水ですが、車が安全な場所にある時には車の中へ入れておくのも
一つの案として提案します。我が家では玄関にあり、直ぐに取り出せる場所に
おいてあります。そしてこれからの季節は汗をかくのでパウダーインシートが
あると良いかもしれないし、ぶっちゃけ女性は衛生用品も必ず入れておきましょう!
ワンサイクルに使う量はある程度把握が出来てると思うので、その分は必ず
入れておくと安心だと思います。鎮痛剤もあると良いですね。
余震が続くと、結構ストレスがかかります。変な頭の痛みが襲ってくる事も
あるので、そんな時はお薬のチカラをかりると、だいぶ楽です。
ワンコやニャンコの食料、飲料水も忘れずに、ペットシートもあると良いですね。
今回の地震の時、私は「もしかしたら、このまま終わってしまうかもしれない」
そう思ったのも事実です。死んでしまうのかもしれないと思いました。
でも、ちゃんと生きてます。生きてる事って普段そんなに特別な実感は無いけど
空気を吸う様な感覚と似てる様な気がするけど、この経験をして、思いました。
やはり生きている事は奇跡なんだと思う。奇跡の積み重ねで毎日が成り立ってる。
どんな人にもその毎日を生きる事で歴史が出来て行くんだって思います。
気持ちのいい風に吹かれる事も、空が青くて綺麗だな〜って思う事も
行きているからこその感動です。物事の考え方が少しだけ変わった様なそんな
感覚もあります。人生観を変えてしまう程の地震だった事には変わりありません。
・・余震が頻繁に起こる様になって来ました。夜は本当に怖いです。
みなさんも、どうか地震に対しての心構えをもう一度、再確認してくださいね。
備える事はお守りみたいな物だと思って下さい。
被災地の復興と、未だ見つからない方達が少しでも早く見つかります様に
ココロから願います。
そして今回心配してくださって沢山の励ましメールを頂きました。
本当に暖かくて一つ一つがココロの処方箋になりました。
沢山の友達に囲まれているんだな・・と、とても嬉しかったです。
いとこ、そして子供達、そして叔父伯母、母と兄貴家族、みんなに感謝です。
ありがとうございました。
by wonders12
| 2008-06-17 22:40